必然性と背景

コンピュータRPGのダンジョン(…に限らないけど)を見ていつも不思議に思うのが、なぜこんなところに宝箱があるんだろうってことと、それ以上に不思議なのがなぜこんなところに罠があるんだろう、っていうこと。

いきなり洞窟の中に回復アイテムだの武器だのが入ってる宝箱があるのって、どう考えてもオカシイ。例えば、そこが以前ドワーフの住居でそういった宝箱があるなら納得がいくんだけどねぇ。いや、もしドワーフの住居だとしても、適当に置いてあるんじゃなくて、宝箱を置くに相応しい部屋や倉庫らしき場所じゃないと(普通、通路の行き止まりに宝箱なんか置かないもんなぁ)。

それから、先に行く必要があるのに、その前にはどう考えても回避ルートのない罠があるも変。そんなの置いたら、住人が罠に掛かっちゃうじゃん。罠を仕掛けるなら、住人にはそれを避けるルートや方法がないとねぇ。そうじゃなければ、そこは罠を仕掛けて侵入者を撃退するため「だけ」の場所じゃないと(したがってその先には何も無いか、先にある宝箱自体が罠の餌)。住人にとって重要なものがあるのなら、そこを守る罠には住人なら解除できるルートがなきゃ、本人が困るし(住人がローグなら、自分で設置して、必要なら自分で解除できるから構わないんだけど)。

…と、現在ダンジョンもののモジュールをNWNで製作中なので、こうした宝箱や罠についてはしっかり必然性を持たせたいなぁと、自らを戒めつつ考えたloveichiでした。

ただ、このあたりはゲームとしての面白さとの共存も必要なので、必然性を持たせつつゲームとして宝箱や罠もそれなりにある、それらしい理由――要するに「背景」をしっかり考える必要があるんだろうなぁと思ったり。